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佐賀平野は、地形図や土地利用図などを見て分かるように、水田が広がっており、米の生産が盛んである。これらの水田に灌漑用水を導くため、クリークと呼ばれる水路が各地に見受けられる事は佐賀平野最大の特徴とされる。ただし、クリークが農業機械の導入を困難にしていたことなどから、戦後は農地の区画整理が進んだ。水路が直線的になるところが増えたり、小規模なクリークがまとまって1つになったりしたことで、クリークは減りつつある。

佐賀平野の稲作は、1920年代後半から1930年代前半に大きく発展した。クリークから電動ポンプで取水を行うようになり効率がアップしたこと、品種改良が進み、それに合わせて肥料の改良が進むなどしたことで、飛躍的に効率が伸び、農家の意欲が増したことなどが原因ではないかと考えられている。この発展期は佐賀段階(第一次佐賀段階)と呼ばれた。

佐賀段階後はいったん発展が停滞したものの、1950年代後半から1960年代にかけて再び発展した。国営嘉瀬川農業水利事業に伴う北山ダムと川上頭首工の建設、嘉瀬川を水源とする用水路網の整備が行われたことに加え、農法や農作業を広域的に統一することで収量を伸ばした。この発展期は新佐賀段階(第二次佐賀段階)と呼ばれた。

また、佐賀平野は米と小麦・大麦の二毛作を行っていることも大きな特徴の1つである。6月に水入れ・田植えを行い、10月ごろに稲刈りを行い、野焼きによって藁を灰にして肥料とする。11月下旬ごろに麦が植えられ、3月ごろ収穫となり、再び野焼きを行う。佐賀県は田植えが47都道府県の中て最も遅い(平均6月16日)という統計結果もあるが、晩生種が多いことと二毛作の影響によるものだとされている。ちなみに、稲刈り後から麦植えまでの農地が「空いている」期間に合わせて佐賀インターナショナルバルーンフェスタが行われ、佐賀平野中西部の広範囲で熱気球が離着陸する。

また、温暖な気候や粘土質で水持ちがよい土壌などを活かしたたまねぎやれんこん、イチゴの生産も盛んで、佐賀県第一の農業地帯になっている。

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